ギターとわたし。

私にとっての「ギター」とは、その1
 私にとって、ギターは、ただの楽器ではありません。嘲笑を恐れずに言うならば、
「タイムマシーン」なのです。こいつ、頭がいかれてる。と思われても仕方ないのですが、
 紛れもなく、タイムスリットのできる道具なのです。へたくそでも、
 こいつをジャカジャカかき鳴らして懐かしの昭和のころのヒットナンバーをうなれば、
 その、歌の間中、間違いなく、私の心は、その時代へとタイムスリップしてるのです。
 当時、平凡や明星の付録のソングブックで、ギターコードを見ながら何度も弾いて歌った歌は、
 体が覚えていて、時代が平成になった今でも、ギターを持てば、その歌は自然に出てきます。
 主に、中学、高校時代の思い出になりますが、この、ギターひとつで、
 その時代に、楽しかった事や、女に振られた事、夜更かしして聞いたラジオ番組の事まで、
 本当に、鮮明によみがえります。だから、私には、ギターがタイムマシーンなのです。
私にとっての「ギター」とは、その2
 いま、「タイムマシーン」と言いましたが、その他に、「精神安定剤」の役目もしてくれます。

仕事疲れで、体がボロボロになりそうな時、とか、書類を仕上げるのに痕を詰めて一息つきたい時など、
 ギターを手にとって、ポロポロ爪弾くだけで、疲れが一気にスーッと抜けて行く気がするのです。
 だから、「タイムマシーン」である、他に「精神安定剤」でもあるのです。

今日は、行動力について、少々。

今日は、「行動力」について、お話します。まずは、”夢”という事から、話を進めて行きましょう。”夢”と言えば、眠っている時に見るのも、夢ですが、ここでは、人生の理想、というニュアンスで使われるほうの”夢”です。この、人生の理想は、人それぞれに異なり、その人がどういう人間で、どんな目標を持ち、どれぐらい財産を所有しているかは、正直言って、その人の成功度を測る真の物差しには、なり得ません。「成功」とは、少しでも高みに登ろうとする努力を怠らないで、持続する人こそ、得られる物で、それは、感情的にも、社会的にも、精神的にも、生理学的にも、知性的にも、財政的にも、絶えず成長を続けながら、何らかの形で世の中に、貢献できていなければ「成功」と呼ぶに値しないと、僕は思っています。つまり、
「成功への道」が、完結する事は無くて、「成功」とは、到達すべき目的地ではなく、前進し続けるプロセスを指して、そう呼ぶのだと、考えます。
さて、この「成功」と呼ぶに足る生活を、理想の生活、すなわち、”夢”と位置づけた時、現状がそうである。と、言える方は、そのステージをキープするために、そして、現状がまだ、そのステージにまで及んでない。という方なら、そこにステージアップするまでと、そこに、及んだ後のキープの為に、常に、どちらの場合の方でも、必要なのが、「行動力」と言えます。
さて、「行動力」ですが、呼んで字のごとく行動する力の事です。
何事も、思っているだけでは、結果には繋がりません。現状を自力で変化させる行為が行動ですが、それには、力が必要です。色んな意味での力が、行動には必要です。計画を立てる際の洞察力、思考力、知識力に加えて、実行する際の、判断力、技術力、運動能力、そして、これらに付随するであろう経済力、人を動かす為の、影響力、指導力。そして何より、そのビジョンを思い描くイメージ能力。と、これだけの種類の力を駆使して、或る時はフル活用、また或る時は、セーブしながら、我々は、日々、生活しています。
そこで、この「力」(パワー)にフォーカスする時、重要なキーワードになるのが、「責任」です。実は経験によって力が身につく事は知っていても、「責任」の所在を自分に置くのか?他人に置くのか?では、力の付き方に、雲泥の差が有る事に気付いている人は、以外に少ないのです。知らず知らずのうちに、「責任逃れ」する人は、力を得る機会を掴み損ねている事に気付きもしませんが、「責任を取る」人は、「責任逃れ」する人の分まで、”力を得る機会”を、独り占め出来ているのです。
また、今日も、長い投稿になりましたが、最後まで読んで下さり、有難う御座います。

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